お話ししたくなりました。
おおた社会福祉士会の定例会で「未成年後見」についての学習会がありました。
児童養護施設を18歳で退所してから20歳の成人になるまでのことをテーマに奥の深いお話しでした。親権者のこと、施設長との利益相反のこと、障害のあるなしを問わず生きづらさが共通のテーマです。
先日も、「衣食住」ではなく「住食衣」で、何処に住むのか何処で生活するのかが最優先だという議論がありましたが、住まいと就労が生活の根底にあることは言うまでもありません。
自分のことをどこまで親身になってくれるのか、子どもは大人が思っている以上に直感で感じています。里親に育てられた私もそうでした。血縁に関係なく育ててくれた人が親です。親が思っている以上に子どもは親を一番大切に思い、感謝もしています。だからこそ言えないことがあります。
「当事者」とよく表現されますが、体験者であり該当者である当の本人とは、要因こそ異なれど生きづらさを感じている人たちみんなが当事者です。だからこそ「わかったようなこと言わないで」と当事者意識というガードができてしまう訳で、支援者の課題解決も難航する訳で・・・
成年後見の公開講座以降、ずっと悩んでいました。身近な制度にならない理由を社会福祉士として投げかけたかったつもりが、専門性が何ら出せなかったからです。今日の未成年後見学習会でふっきれた自分がいました。未成年後見をテーマにしたいと提案してくださった社会福祉士さんたちに、そして権利擁護チームの皆さんに敬意を表します。
そして、社会福祉士という業に携わっていることを誇りに思います。
有難うございました。
芸術的なお寿司屋さんの酢の物。
大切な話がしたい時や大切なイベントの時にふと行けるお店があるっていいですよね。