今日、暖家支援にランチを食べに来てくださった方と、食後もくつろぎながら何気にお話し。時々おみえになるのですが、奥様を看取られたご主人でした。
病院の相談員からも、在宅医療の主治医からも、亡くなってハイさよならじゃなくて顔を出してくださいよ、って誘ってもらったのが家族の会だったとか。「男って強がってても女房亡くして一人になったら何も出来ないもんだよね。」
って。
家族の会って、現役の介護者の会だけではないのです。残された家族の心のケアも必要なんです。介護職員も、ケアマネジャーも、後見人も、どんなにご本人に寄り添っているつもりでも、虚しさとジレンマに悩むのはそこのところなんです。恐らく医療現場の方たちもそうなのではないでしょうか。
「私たちソーシャルワーカーは寄り添い力です」なんて軽々しく口に出さないでほしいと思うことが最近多くて、誰のための何のための専門職なんだろうと問い続けています。
寂しいだろうからと娘さんが里親募集をしていたニャンコを探してきてくれて一緒に暮らしているお話しをしながら、「犬もお腹出して甘えるんだね」とグランをなでなで

「オレに何かあったらここに連絡しろって言ってあるんだ」とも。
じ〰〰ん
寄り添うことの意味を考えながら、この場所で私が一番癒されています。
人のためのつもりが自分のためだったのかもしれません。
暖家支援を手伝ってくださっているおふくろさんも、アクセスの利用者さんだった方のご家族です。つい最近は、福島避難者の従業員のお母様もアクセスで看取らせていただきました。
アクセスがいつの時代も家族であり続けたいという思いが叶っている自分が一番の幸せ者です。