一年の締めくくりは「ありがとう」が言いたくて、公開できていなかった夏からのブログ公開です。
平成30年8月1日
今年も福島のひまわりが咲きました。大輪で見事な花を咲かせてくれました。ボランティアつくしの会の皆さん他、応援してくださった方たちに本当に感謝です。「きみ」に見せたかったふるさとのひまわり。台風の合間にアクセス前でヨコタを披露してくれた子ども神輿。その中に「きみ」の妹がいましたよ。どんなに嬉しかったか。町会の皆さんの、地域の皆さんの熱い思いに、どんなに感謝してもしきれません。本当に有難うございました。
あなたたち兄妹をずっと見守っていきたい。暖家の工事中からいつもグランに会いに来てくれたきみの成長を陰で応援していることを忘れないでね。福島には帰れないかもしれないけれど、ここもふるさとだからね。グランのことも思い出してやってね。男の子だし、お年頃だし、最近顔を見なくなったけど、いつでも待ってるからね。
池上を閉鎖しました。主人の母も親戚も、上京の際には利用してくれた思い出が詰まった場所です。グランが私の不注意でケガをした時もここで療養生活をしました。11年になります。ベランダからピアノを運びだし、1ヶ月かけて片付けが終了しました。胸がキュンと締め付けられる思いでお別れ。長い間お世話になった池上事業所。有難うございました。
7月に大阪の施設に会いに行ってきました。最終的には私の世話になりたいという話まで出ましたが、この気持ちはもう少し整理してみようと思います。大好物のわらび餅を美味しそうに食べてくれました。一人でお茶を入れてもつまらないでしょうが、お茶が大好きなので茶器のセットをプレゼント。7月3日は91歳のお誕生日でした。
私の里親は尼僧です。施設に入所して還俗しました。もう充分お経を挙げてきたからと、ひとりの人間として穏やかに余生を送ろうとしている親を感じました。私は40年前に還俗してそれなりに苦しんできましたが、私の償いは終わった気がします。親子で同じ境地にいる気がします。
8月7日
アスファルトの熱気に囲まれた都会に住んでいますが、自宅のすぐ近くにトトロに会える場所があります。樹齢何年なのでしょう。〇〇邸だったここは、高層マンションが立ち並んでいますが、樹木や池は大切に残されています。元気と勇気がもらえる大好きな場所にグランと毎日来ています。
蝉がよく鳴いています。子どもの頃のふるさとの夏は蝉の声で話ができなかったくらいです。7年前は何をしてたかな、どんなことを考えてたんだろうと毎年思います。グランは10歳、アクセスは20歳、ひょっとしたら全部を知っている蝉が今鳴いているかもしれない。
まんまるの穴が地面のあちこちに沢山!奥が見えません。何の穴なんでしょう。木の割れ目に水が潤っていました。木の中って涼しいのでしょうね。落ち葉は自然に集まったのか、ここの住民が集めたものなのか、今すぐ住民になってみたいです。
8月10日
ベクがサマーカット。怪我で手術をして以来のこと。やっぱり似てますよね。さて、どっちがパパでどっちが長男でしょう。
10日は次男グルの命日。3月10日から5ヶ月が経ちました。パパとママと三兄弟の5匹はいつも一緒だったのに、一匹足りないだけでこんなに寂しいものだなんて想像もしなかった。
取り上げたこの手の中で、腕の中で見送ってやりたかったのですが、仕事の関係で私のベッドに残して家を離れました。あの子の「コトン」と心臓が止まる音を聞くことはできませんでしたが、穏やかな顔に感謝でいっぱいです。産まれてきてくれてありがとう。
8月15日
終戦記念日は六郷土手の花火大会です。今年は、場所取りをしている息子たちと近距離で初めて見ました。私から頼みこみました。何故かどうしても見ておきたくて。
コロやグランをお留守番させてまで見たかった光景。ズシーン!と腹に響く音とともにしっかり記憶に刻んでおきたくて。
8月18日
まる一日仕事を休むなんて考えられない私でしたが、子どもたちを元気に!という合言葉で集まったボランティアさんたちの熱い思いに感動して孫やその友達たちと茅ヶ崎の海へ。何か大切な忘れ物をしていた気がしてなりません。少し荷物を降ろしたいと思う私がいます。
8月20日
祖母のお誕生日です。命日は3月1日。この世に生まれた日と、あの世に帰った日の両方をお祝いすると寂しさも少しは紛れます。訃報を聞いた時、悲しみよりも「これで私をまるごと理解してもらえる」と安堵したことを覚えています。生きているからこその恨み辛みや言い訳も、魂だけになった自遊空間だと言葉は必要ありません。
若かったからこその言葉の足りなさもすべて許される気がしたあの時の開放感と喜びは不思議でなりません。今でもこんなに会いたいのに、会って「ごめんね」って抱きつきたいのに、もう何も言い訳しなくてもすべてお見通しの境地が嬉しくて。
お互いが生きている時にはなぜ、この境地に立たせてもらえないのでしょう。永遠の別れが永遠の喜びに変わると感じるのは私だけですか?
9月3日
孫の梛とグランはお誕生日がいっしょ!
9月7日
コロの体調が8月25日に急変し、9月5日早朝、お星さまになりました。16歳でした。
16年前の8月31日、息子のお誕生日のプレゼントだったコロ。新居でのお誕生日祝いで再度コロをプレゼントしました。一緒にお誕生会に参加してくれたコロ。そして、アクセスの看板犬だったコロからバトンタッチしたグランのお誕生日が9月3日。ごはんが食べれなくなって、水も飲めなくなったのに頑張ってくれました。
イベントをしっかり終えて、初代看板犬コロは私の腕の中で旅立ちました。
大切な忘れ物、少し荷物を降ろしたい私・・・というセリフはわずか2週間程前の事。コロの体調に気づいてやれなかった?コロが喜ぶことを精一杯してやれた?グルを見送ってから半年、私は何をしていたのだろう。夏風邪がなかなか治らない自分を庇いながら少しずつ仕事を整理して・・・「生きる」ことから目を背けてはいなかっただろうか。
失うことを恐れているだけの自分ではなかっただろうか。
9月9日
制度も所属も責任も超えた、ボランティア精神なしではできない理不尽な業務。それでいて専門性は問われる。廃止すればどんなに楽だろうと思わない日はありませんでした。思いやこだわりを捨てればどんなに楽だろうといつも思います。しかし、思いを捨ててまで事業に奔走して何が残るのでしょう。
9月14日
facebookはグリーフケアの記事で止まっています。包括支援センターを退任された所長から引き継いだ大切な役割を果たせないままで本当に申し訳なく思っています。
9月末で退職するケアマネジャーの送別会を暖家支援でするためにランチの仕込み。
仕事の夢を見て目が覚め、孤独と不安に襲われることがあります。でも、何か大きな力に動かされて宿命のように動いてきた今までと何ら変わらず、何か大きな流れをじっと待っている私がいます。
精一杯笑顔でいようと思います。
9月23日
ごめんねコロ。有難うねコロ。またいつか会えるのかな。でも、さよならしなきゃね。でもまだできないから、もう少し・・・そばにいて。
泣いても泣いても涙って涸れないね。仕事で人に会う時にも涙が溢れてきて渇かすのが大変!コロ、お前はどの子の生まれ変わりなの?「私ともう一度一緒に暮らしたい」って来てくれた気がしたけど、私といて幸せだった?
私は幸せだったよ。だからコロも幸せだったよね。たくさんのメッセージ忘れないから。有難うね。
9月30日
暖家支援を開設してから5年になるんですね。「ピアノの発表会をさせてください」ってお母さんがいらしてから5回目の発表会でした。耳で聞いた音を弾く彼女。それを支えるお母さん。
大好きな音楽と、お花と、料理と。三拍子揃ったこの居場所。好きで作ったこの居場所。昨日からカレーの仕込みをして、皆さんの笑顔が見れて・・・思いがけない仲間もかけつけてくださって・・・こんなに暖かい人たちに囲まれているのにどうして前に進めない自分がいるのでしょう。
10月3日
台風が恐くて私から離れないグラン。どうしてもベッドに入りたいグラン。抜け毛がひどいから絶対ダメ!寝返り打てないから絶対ダメ!と頑張る私。
あの日もそうだったね。ゲリラ豪雨が続いた日に雷もなって、2階から飛び降りてきたグラン。初めてコロと同じ部屋で寝たね。コロより雷の方が恐かったんだね^^
有難う、一緒にコロを見送ってくれて。
10月1日早朝から台風被害の点検とご近所のお詫び訪問で大忙し。倉庫の扉は飛ぶし、網戸も飛ぶし、恐るべし台風!怪我人がでなくてよかった・・・とかなりヒヤリ。災害対策も含んだリスク管理に今後も要注意です。
2日はデイサービスの監査。無事に監査も終わり、3日の今日の私のお誕生日は家族と食事。孫のピアノでHappy Birthday♪を歌ってもらって、なんて幸せなバアバなのでしょう。
蒲田事業所の従業員は、アクセスカラーの黄色の素敵な花束を準備してくれました。みんなみんな有難う。
「もし、その方向が間違っていたとしてもオレはついていくから」
その一言で私は頑張れた。誰を助けるために、誰と生きていくのか、それは私自身が決めること。
11月7日
社会福祉士の大好きな先輩たちと飲み会。
定年後の第2の人生を社会福祉にかけたお二人。共に商社マン。似た者同士の話の掛け合いが絶妙で楽しい。私もこうゆう歳になったのかとつくづく思います。夏には第一生命で定年を迎えたかつての支社長たちともお会いしました。苦楽をともにしたからこそおもいっきり懐かしい、そんな人生に悔いなしです。
今一番会いたい友が福井県にいます。あれが悲しい、こんな苦しい事も・・・など何一つ話さなくてもいい、ただ会うだけでお互いの人生に悔いなしが確認できそうな、4年間同じ釜の飯を食べたそんな戦友に会いたいです。
11月20日
こんなに寒くなってきたのにトンボ?グランと散歩中にいろんな生き物と遭遇します。いつも私の足元にバタっと落っこちてくるんです。その度に「お前は誰?」って思い当たる人を考えるのですが、今回のトンボはわからない・・・
コロとグルはちょうちょになって来てくれました。
ね?
12月2日
主人の母の納骨で大阪へ。お母さん、大阪の庭と同じ山茶花、東京の我が家の庭にも咲きましたよ。そんな季節になりましたね。あなたが株分けをしてくれた万寿は何故か枯れてしまいましたが、この時期に山茶花が咲くと、お正月が来てくれそうでほっとします。
嫁いだ年から毎年、山茶花の庭掃除をし、おせちを作り、田端家の雑煮の味は実家のお寺のお正月より長くなりましたね。嫁ぐという意味を毎年噛みしめています。
墓石に骨を埋葬している息子を見て、私もここにこうして入るのかと思うと、幸せな死に方をしてやらねばと思いました。幸せに生きようと思います。
12月6日
母親のミニの16歳のお誕生日です。
12月7日
灰の持つ不思議な力は、すべてをまた灰にして包んでくれます。私もいつか灰になって此岸の汚れを清められるよう、もう少し精進しなくてはならないようです。
広い草原のドッグランで犬たちと戯れている田端さんが想像できる、って同じ業界の友だちに言われました。どうしてわかるんでしょう。いつの日か、近い将来、違う景色を見るためにも、あとまだもう少しお仕事に精を出さなくてはならないようです。
12月8日
早いもので忘年会。
12月8日は、釈尊が悟りを開いて仏陀になられた成道の日。いい日ですね。
捨てることが多かった2018年。沢山の「さようなら」があった2018年。
でも、この素晴らしい仲間たちとの出会いに「
ありがとう」