東北地方太平洋沖地震の被害に遭われた皆様、関係者の方におかれましては、心よりお見舞い申し上げると共に一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
日付けが変更した夜中でしたが、今となれば地震当日の3月11日のブログで、「人にやさしい街づくり」と称して、行政も公務員も私たち専門職も住民みんなが協力し合える街づくりを心がけなければ・・・とつぶやいていました。
新年度を迎えるにあたって従業員との面談もあり、情報の正確さと連携について、システムづくりと組織づくりについて話合っている時期でした。
想像を超える大規模な災害・・・予測できなかった事態とはいえ、地震国におけるシステムづくりの甘さを痛感しています。
国のリーダー力が求められる時ですが、大切なのは、私たちひとりひとりにも今すべきこと、今何ができるのかを考えて最善を尽くすことが求められています。
地震発生の翌朝、折も折、帰宅できずに保険会社に寝泊まりした担当者が、新ビルの火災保険や損害賠償保険の件で、約束通り訪問してくださいました。携帯電話も通じず、午前中の都内の電車はパニックのはずです。お客さまの保障を第一優先に考える・・・
そんな企業理念だけではないはずです。うまく言えませんが、人と人とのつながりなんです。
私はこの保険会社のOBです。
あの時もそうでした。
阪神淡路大震災の時、私は東京で仕事をしていました。無謀な同僚が車で被災地に向かい、現地の情報を入れてくれる事を祈る思いで、持ち場を離れられない私は仕事場にいました。
東北地方太平洋沖地震発生からこの数日間、被災地の悲惨さとは比べものにならない環境にいながら、この疲労感は何故なんだろうとふと思いました。ちょっとした心の傷跡なのかもしれません。
私がこの業界に入るきっかけになった阪神淡路大震災。
甘ったれたことを言っていないで、今自分から飛び込んだこの場でできること、今できることを精一杯やるのみです。
人にはもろさもありますが、想像を超える強さがあります。追い込まれた時に生まれる人の和とたくましさを、あの時見たからこそ、この仕事を続けている今があるんじゃないですか。
「人はいつも人が好き」
今こそ、今だからこそ、みんなで一緒に支え合って行きましょう。
地震発生当日、ヘルパーの子どもたちがランドセルのまま事務所に帰宅してグランと一緒にお留守番です。
グラン、千葉の父さんにもいわきのチャチャママにも連絡とれたよ。
よかったね